481440 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

戯曲 入れ歯のできる日まで 港区福祉会館

 岡山県青年祭参加作  最優秀賞 受賞

 日本青年大会参加作  東京港区福祉会館

             めぐり来る春のために  一幕二場

                  

               

                                     よしなれ  ゆう  (吉馴 悠 )



     時  秋の中頃

     所  全国どこと言う指定はない情景  コンクリートの白い壁に囲まれた病室。ベヅドが三台並べ

られている。正面奥に大きな硝子窓。窓からは外の景色が見える。舞台は具体的に造る必要

はありません。それらしく見えればいいのです。



    幕が上がる前、つまり、本ベルの後にスーパーでー。



「高齢化社会において、老人福祉をどのように考えるかが、これからの政治の本流となりましょう。わたくし、山川大蔵が当選しました暁には、ご老人を大切にする政治を推進いたし、住みよい福祉社会の建設に全力を尽くして取り組みたいと考えております。どうか、皆様の清き一票を、この、山川大蔵に投票いただけますようにお願いいたします」



    続いて若い女性の声で。



「山川大蔵は福祉に命を賭けて参りました。福祉の山川、福祉の山川を皆様の手と足として、口とげんこつとして、目と耳として、国会へ送ってやって下さい山川なくして福祉への国家の進展はありえません。どうか宜しくお願いいたします。高い上から失礼ではございますが、心は地上においてお願いを致しております」



    スーパーが消える。

    幕が上がると、上手のベツドに横になっていた藤沢ふで{七十}が起き上がり。



ふで  なんも、病院の前で大きな声でおらばんでもええのに。ここのベツドで明日をも知れん人もおると言う

     のにのう。{ベツドに腰をかけて立ちあがり}チョツト、一杯ひっかけてきましょうかな。



    ふでの隣で花の匂いを嗅いでいた、眼帯をした知佳{十七}が。



知佳  おばあちゃん!

ふで  {口に指を当てて}節子さん、知佳ちゃん。内緒、内緒。見ざる、聞かざる、言わざる。



    下手のベツドの中の中田節子{四十五}が、レース編みしていたが。



節子  ああ、見えませぬ。聞こえませぬ。そして、存じませぬ。

     おばあちゃん!安心していっといで・・・。キュゥト一杯ひっかけておいでな。

知佳  いいんですか。先生にとめられているんでしょう。・・・朝ご飯が終わって少ししてキュゥト一杯と言って

     出ていかれたけれど、それでは中毒に・・・。

ふで  中毒ね、そういゃあ、そう言う言葉があったわの。でもな、うちのは慢性と言う奴でな。

節子  知佳ちゃん。止めたって耳を貸すような人ではないんだから・・・。ほぉっておくのが仁義てもんよね。

     ねぇ、おばあちゃん。

ふで  ふん、五十女の分別て奴かね。

節子  まあ、お褒めに預かりまして。でも私はまだ四十五歳、四捨五入をされたのでは叶わないわ。

ふで  年の数と皺の数が気になりだしたら女もおしまいだわの。

節子  まあ、にくたらしい。腰が曲がった分、心もひねくれたってわけ。ああ、年は取りたくないわ。

ふで  なにを言う。稲穂が実れば腰を垂れって言葉お知らないらしいをわね。

節子  ああ、一本取られました。でも、あれは、頭ではなかったかしら。

ふで  そうも言うが・・・。なんだっていいのよ。ああだ、こうだって言ってるうちが、華なんだから・・・。言えな

     くなったな・・・

節子  おばあちゃん・・・。さあ、早くいっといで、もうすぐ検温、口やかましい公子ナースが・・・

ふで  間に合わなかったら、そこに書いてあるから。

節子  はいはい。がってん承知。

ふで  じゃ、いいように取り計らってね。

節子  見えませぬ。聞こえませぬ。存じませぬ。

ふで  その通り、その通りじゃ。



    ふで、嬉しそうに出ていく。



知佳  大丈夫なんてすか?

節子  知佳ちゃんは、昨日個室からここえ移って来たから知らないでしょうけど、チョット一杯はおばあちゃ

     んの日課。言ってみれば、人生に組み込まれたスケジュールのようなもの。つまり、この病室でその

     事がただ 一つの楽しみであるとも言えるの。                                

知佳  だって、お声からすると、もうかなりの・・・

節子  七十歳。医療費は安いし、年金は入るし・・・。多少の我が侭や、自由がきかなくったって、ここはお

     ばあちゃんにとって住み良い所なのかも知れないわね。

知佳  本当にそうでしょうか。ご家族の方は・・・

節子  立派な息子さんがお二人。そのどちらも何とか会社の何とかと言う役付きなんですって。

知佳  それならば・・・

節子  人間様々、人生色々、お嫁さんとの馬が合わないらしい。まあ、あれだけ口が立てば・・・

知佳  可哀そう。

節子  どちらが?

知佳  それは、おばあちゃん。

節子  そんな同情をほしがるおばあちゃんではないわ。強い人よ、私なんかよりもっと・・・

知佳  分かりません、よく。

節子  分からない、その方がいいって事が世間には多いわ。知らないから幸せって事がね。夢、夢を見る

     ことが出来る、知佳ちゃんがうらやましい。

知佳  夢なんか・・・私ありません・・

節子  知佳ちゃん・・・

知佳  目の手術をしたんですけれど、九十パーセントは駄目だろうて言われているんす。

節子  でも十パーセントでもあればいいでわないの。

知佳  十パーセントの確率で・・・。だから・・・奇蹟でも起こらないと・・・

節子  それだけでもあれば奇蹟とは言わないよ。私なんか腎臓病、一生治らないだろうて言われているの

     よ。

知佳  おばちん!

節子  分かるわよ。知佳ちゃんの心。その十パーセントに賭けてみる勇気。それが若さってもんだわよね。

知佳  みんな奇蹟を信じて・・・

節子  そうさ。それを信じないとベツドでの生活なんて味けないわよ。

知佳  わたし、私、御免なさい。私一人の事ばかり考えて・・・

節子  きっと、治るよ。そう、治そうと努力するんのよ。治ると信じるんのよ。

知佳  そうですね。



    ノックの音。



節子  はい。



    看護婦の公子{二十三}と見習い看護婦の美子{十八}と宏美{十八}が入ってくる。



公子  {部屋お見渡して}あら、おばあちゃんは。

節子  トイレでしょうか、散歩でしょうか、それとも、歯医者様かしら。

公子  困ったおばあちゃん。また例の日課でしょう。

節子  私は存じません。

知佳  私は・・・見えません。

公子  まあ、何と言う美しい隣人愛かしらね。{知佳に}そんなに、気を使わなくてもいいのよ。{美子と宏美

     に}お二人のクランケの検温と脈拍を。

美子

宏美} はい。

    美子、宏美、それぞれ仕事をする。

節子  はい、これ。

知佳  あの・・・



    美子、宏美は二人から体温計を受け取り、書き込む。



節子  大一、小二です。

知佳  私は、わたしは、まだ・・・

公子  取ってあげましょうか。

知佳  あまり食べないようにしているの。                                     

公子  いけませんよ。確り食べて体力をつけておかなければ。遠慮入りませんからね。クランケの回復の

     お手伝いをするのが私達の仕事ですからね。{ふでのベツドで}これがふでおばあちゃんの分

美子  大一に小五ですね。

公子  どうせ出鱈目だろうけれどね。

美子  いいんですか?

公子  でも、そうでもないかも知れないから、控えといてね。

美子  はい。

公子  売店の人によく言っておかなければね。でも、おばあちゃん、お芝居が上手で売店の人が注意して

     いると、待合で順番を待っている人に頼んで・・・。ここのおばあちゃん気をつけてね。よくいなくなる

     から。

美子  いなくなるんですか?

宏美  どこにいかれるんですか?

公子  さあ、どこに行くのでしょうかね。まったく。

節子  私は知りませんよ。

知佳  あの・・・

節子  知佳ちゃんは昨日の今日だからなにも分からないわよね。六カ月も一緒の私がわからないのです 

     ものね・・・                                                       

知佳  は、はい・・・

公子  いいのよ。みんな分かっているんだから・・・。それより気分はどうですか。

知佳  はい。少し熱っほいんですけど。

公子  {美子の表を見て}少しね。でも大丈夫よ。明後日にはその包帯も取れそうですよ。

知佳  そんなに早く・・・

公子  ええ、先生方も感心してらっしたわ。よく頑張ったって。後は信じることだって。

知佳  はい・・・{不安そうだ}

節子  良かったわね。きっと、見えるわよ。良くなっているって。

公子  それではお大事に・・・。ああ、忘れるところだったわ、実習生の・・・

美子  谷野美子です。

宏美  山谷宏美です。

公子  そうね、そうなの。余りいじめないでね。仲よくして下さいね。

節子  宜しくね。私は、その用紙に書いてあるわね。近頃、うちの娘はちっとも顔を見せてはくれないのよ。

     どうしているんだ か・・・

知佳  ・・・あの、私は。吉田知佳・・・

美子

宏美} 宜しくお願いいたします。

公子  おばあちゃんが帰ってこられたら、担当の口やかましいナースが怒っていたと伝えてね。

節子  では。ではそのように。

公子  では、次!



    三人頭を下げて出ていく。



知佳  おばあちゃん、今日だけでなくいつもなんですね。

節子  ああ、まあ、食後にはね。

知佳  みんなあんなに心配しているのに。身体が・・                               

節子  それも考えよう。元気だから飲むことも出来るってわけ。身体の調子が悪ければどんなに好きでも

知佳  そうですよね。

節子  そろそろ御帰還だわ。公子ナースが角を曲がるを待っているのよ。きっと。



    ふで入ってくる。



ふで  どうも、皆様には余分なお心遣いありがとさん。台風一過で静かですの。今日は大中小の・・・

節子  若い実習生を二人も連れて、まあ、並てところかしら。

ふで  気味が悪いね。晴天続きで稲穂も実る。実りゃ黄金の波が打つ。気紛れ雀で飛んできて、かがしと

     一緒に遊んでる。嵐の前の静かさよ。

知佳  まあ、おばあちゃん。

節子  もう、何時退院してもいいって言われているんでしょう。

ふで  近頃、身体がだるくてね。おしっこは近いしね。それに加えて下痢気味。ああ、つまらない、つまりま

     す、つまればね、つまる、つまるとき、つまれよ。

節子

知佳  おばあちゃん!

ふで  人間、寂しい時には良くしゃべると言うけれど・・・

知佳  あばあちゃん!

ふで  {知佳に}元気を出さんといけませんぞ。若いもんは夢を見るんじゃ。将来についてとてつもない夢を

     の。そうすりゃ、今の苦しみから少しは逃れられると言うも んじゃ。

知佳  うん。

ふで  逃げんと現実を確り見つめんと、未来はないと言うがの、だけどのう、人間と言う動物はそんなに強

     い生き物ではねえ。その事でだぁれも文句を言うもんもおらんし、文句も言えん。

     この世の中の人らぁは、知佳ちゃんと一緒 じゃ。目に包帯をして生きとる。真実を隠す包帯とでも

     言おうかの                                                    

知佳  おばあちゃん、それは・・・

ふで  知佳ちゃんと同じように本当のことを見るのが怖いんじゃ。だから、包帯をとるのが怖い。もしも、包

     帯を解いても見えんかったらと言う心が邪魔をして、解く勇 気もねえ。つまり、本当の生き方、見方

     が分かってないんじゃ。生かされとる。生かせれとる方が楽じゃからの。じゃけど、例え分からんでも

     自分の判断で生きてみんと、生きることの決断をせんと・・・。うちは思うんじゃ、例え包帯をしといて

     も、解いても、心に目があれば・・・

知佳  心に目が・・・

ふで  ああ、今の人らぁは、自分のために 涙を流しとる。その目は綺麗ではありゃせん。その汚れた目に

     映るのは汚い醜い世の中じゃ。じゃがの、人の為に流す涙と嬉し涙は汚れた瞳を洗い、その瞳は真

     実を映すものじゃて。

知佳  私は、わたしは・・・どうすれば。                                        

ふで  人は心でものを見る。

知佳  人は心でものを見る。

節子  いい言葉ね。知佳ちゃん。

知佳  はい・・・。私はもう怖くありません。例えこの包帯を取ったとき・・・

ふで  きっと成功しとるよ。大成功、知佳ちゃんのような美しい心の持ち主を闇の世界に落としたら、うちは

     えんまさんの前で ・・・

知佳  おばあちゅん、有難う。

ふで  {節子に}・・・うちは、今なんか言いましたかな。近ごろは言うた後から忘れてしもうてな。こんな症状

     を、節子さん 何と言うたのな、狭心症、合併症、便秘症 下痢症、不妊症、夜尿症、・・・

節子  もういいって、おばあちゅん。それはふで式疑似健呆症症候群て言うんでしょう。{目を押さえている

     }

ふで  ああ、そうじゃ、そうなんじゃ。変な病でな。



   ノックの音して、美子入ってきて。



美子  ふでさん、診察がありますから1階まで下りてください。

ふで  はいはい。{立ったが、立ち眩みのようによろけて}ああ、ああ、目が眩むが 、足が竦むが・・・

美子  {慌てて近寄り}大丈夫ですか?

ふで  はい、ちょっと・・・。肩につかまらさせて下さらんかの。

美子  はい。

ふで  じゃあ、ちょいと行ってきますから。



               暗転



         二場



    一週間後

    ふでは眼鏡をかけて新聞を読んでいる。節子はいらいらと歩き回っている。



ふで  {顔をあげて}埃が立って新聞も読めん。ちいたあ、静かにしとりんさい。

節子  おばあちゃん、知佳ちゃんの事心配ではないの。

ふで  心配したってどうって事はないじゃろうが。心配したからとて見えるようになるとは誰も保証してくれん

     じゃろうが。

節子  への付く理屈はいいの。

ふで  への付く理屈は、あんたの専売特許じゃつたの。そりゃ悪かったの。

節子  ところで、おばあちゃん、身体の調子でも悪いの。

ふで  なんして。うちはこの通り元気じゃが。

節子  だって、この一週間ほど、チョット一杯が・・                                 

ふで  ああ、そんことか、思うところがあって慎んどる。

節子  おばあちゃん、やっぱり・・・

ふで  意地悪の売店の人が売ってくれんのじゃ。

節子  嘘。他に・・・

ふで  なんしてうちが嘘を付く。

節子  それなら私が買ってきてあげましょうか?

ふで  頼んでもええが・・・あんたに迷惑をかけとうはねえからの。

節子  私も飲みたくなったのよ。

ふで  {独白}なにも分かっとらん。年だけは人並みにとっといて気がきかん人じゃ。              

節子  何か言った、おばあちゃん。

ふで  いや、こっそり飲むのがスリルとサスペンスがあって一層においしいのじゃ。今はそのチャンスをね

     ろうとるところじゃ・・・

節子  そう言う・・・おばあちゃんの心は ・・・



    ノックの音がする。ふで、節子慌てて身を乗り    出す。



ふで  どうじゃった。

節子  知佳ちゃんは?

ふで  うちは少しも心配はしとらんで。節子さんが一人で・・・

節子  おばあちゃん!はーい。

    美子入ってくる。手に酒のカップを持っている

ふで  なんだ、美子さんか。

節子  ここの知佳ちゃんはどうなんですか・・・                                    

美子  ただ今、眼科の方へ・・・

節子  そんなことは分かっているわよ。

美子  ・・・私も、それだけしか分かりません

節子  そう。ところで何か用なの。

美子  用と言うほどのことではありませんが、クラン ケとお話をし、分かり合うのもナースの仕事の内だと

     思いまして。

節子  それでその手に持っているものは何ですか?

美子  お酒です。

節子  お酒!

美子  はい。公子ナースが、ふでおばあちゃんがこの一週間ほどチョット一杯に行かなくてどうしたのかし

     ら と言っていたものですから。

節子  それでお酒を。{笑った}

美子  可笑しいですか?

節子  可笑しいわよ。

美子  どうしてですか?おばあちゃんに飲んでいただこうと思って。

節子  あのね、おばあちゃんはね・・・                                         

ふで  有難うよ。いただいとくわ。

節子  だって・・・

ふで  うちは大好きなの。これが、食後の一杯が。

節子  {美子に}どうしてまた。

美子  明日、おばあちゃん、退院なさるんでしょう。                                 

節子  ほんとう?

ふで  世間の風は冷たいですの。うちの抵抗もここま でじゃ。が、あと一日、あと一日ここに居させて貰い 

     てえ。

節子  おばあちゃん。・・・

ふで  そう、何度も頭下げて頼んだが、院長先生とうちの分からずやの息子と嫁が手続きをしてしもうたん

     じゃ。

節子  何と言うことを。

ふで  でもな、うちより身体の悪い年寄りが、このベ ッドが空くのを待っておると思うとな、うちの我が侭も

     許されんと思う様になりましたわの。

節子  {美子に}その事を知って。

美子  はい。

節子  あなたは、いい看護婦にはなれないわよ。

美子  どうしてですか?

節子  分からないかね。

ふで  これ、節子さん!

節子  チョット一杯の後、おばあちゃんにお酒の匂い がした。

美子  それは・・・そう言えばあの時・・                                        

節子  おばあちゃんはね、待合にある自動販売機でコ ーヒーを買って飲んでいたのよ。          

美子  本当ですか・・・それなら・・・私は、私は・                                   

ふで  節子さん、コーヒーでもお酒でも、構わないじ ゃないの。{美子に}あんたの優しい心は、有り難くい

     ただいとくよ。その優しさが看護婦さんの心かも知れんでな・・・

美子  おばあちゃん!

ふで  チョット一杯頂こうかね。

美子  おばあちゃん、私、すぐにコーヒーと代えてき ますから。

節子  おばあちゃんは、知佳ちゃんのために・・・                                  

ふで  これ、節子さん!

節子  今、コーヒーを断っているのよ。

美子  どうしてですか?

ふで  うふ、いや、まあ、このところ胃の具合が少し わるうてな・・・

節子  嘘ばっかり。あんなにすきなコーヒーを断って知佳ちゃんの手術の成功に願をかける。私なんかいら

     いらしているだけなのに。いいとこあるわね、おばあちゃん!

ふで  人間、やっぱり不安な時ほどぺらぺらといらん事をようしゃべるの。

美子  済みません。・・・私、何も分からなくて。

ふで  誰だって何一つ分かってはいないのよ。私が、後一日退院を伸ばして欲しいとお願いしているの・・

節子  知佳ちゃんのことが心配で・・・

美子  そうなんですか・・・

ふで  そりゃ、心配ではないこともないが、それより

    ノックの音。

節子  はーい。今度は知佳ちゃんだわ、きっと。



    皆ドアに注目をする。美子がドアを開ける。宏美が立っている。



宏美  あの・・・

美子  なんだ、宏美なの。

宏美  まあ、宏美で悪かったわね。

節子  知佳ちゃんの様子は・・・

宏美  さあ、分かりません。

節子  {ふでに}それを、私に一口くれないかしら。                                 

ふで  あんたも情緒不安定だね。

節子  と言ったって、胃がにがるし、心臓は勝手に跳 ねるし・・・

ふで  待つことね、ゆっくりと。私達が心を重ねて思い心配しても、知佳ちゃんの不安な心に比べたら。

節子  そうは言ったってこの三日間、この部屋で一緒に寝起きした私にとっては、娘のことのように心配で

     ・・・

ふで  分かるわよね、それくらい。だからこうして待っているんじゃないの。待つと言う事しか、ないんだか

     ら、じっと・・・

美子  {宏美に}ところで何か用。

宏美  ああ、忘れるところだった。ただ今、歯医者様から電話がありまして・・・

ふで  それで・・・

宏美  はい。どうしても、明日までには、入れ歯が間 に合いませんと・・・

ふで  {落胆して}そうなの。

節子  それで一日伸ばして欲しいって言っていたの。                               

ふで  まあ、そんなところかね。思い叶わぬ世の中ってとこかね。

美子  それでですか。

宏美  なんのことですか?

美子  宏美は何も分からなくてもいいの、このこと公子ナースに言った。

宏美  いいえ、ナースセンターには私一人でしたから                                

美子  だったら、このこと黙っておいてね。それより 、ナースセンターには誰もいないんじゃないの。早く帰

     らないと。

宏美  そうね。黙っていることは分かつたわ。でも、 あんまし分からないけれど。



    宏美出て行く。



美子  おばあちゃん。どうしてその事を言わないのですか?

ふで  今まで、いや今日まで、うちはこの病院で我が侭ばかり言うてきたから。もうこれ以上言えませんわ

     な                                                         

美子  私が公子ナースに・・・

ふで  ええんですよ。うちはうちの事ばかり考えておったわ。が、本当にベツドを必要としておる人がおっ

     たら空けてあげにゃならんと考えるようになりましたがの                         

節子  おばあちゃん、後一日頑張るのよ。我が侭のついでに・・・

ふで  そりゃ、そうも考えたいがのう・・・それこそ ついでに。そおして、ここで、新しい入れ歯をはめて、 何

     でも食べられるようになって、息子らの奨めてくれる、老人ホームへ入りたいがの。けどの、うちは、

     年寄りじゃいうて、この世の中に甘えとるんがはずかしゅう なり、寂しゅなつたんじゃ。

    うちら年寄りに、この世の中は痒いところに手が届く様に面倒をみてくれるがのう、それだけで本

     当にええんじゃろうかのう。年寄りから何もかも奪いとって、目的も働く意欲も取り上げてしもうて。

     でものう、うちはこの 年まで生きてきて、その事が世の中になんぼか役に立っていると思いたいん

     ですんじゃ。じゃからうちはうちの人生を愚痴りとうはありませんのじゃ。そう思うて、もうみんなに甘

     えるのは止めにして、迷惑をかけのはよそうと思いましてな。明日、退院いたしますのじゃ。皆さんに

     はほんにお世話をおかけいたしましたな。                                  

節子  おばあちゃん、いいんですか。

ふで  そう考えると、なんも入れ歯一つでと思うようになりましたがの。

美子  私が、きっと入れ歯を持って行ってあげます。                                

ふで  ありがとさん。{美子に}ほんに若いって言うことは素晴らしいですの。信じる事と、愛する事、この

     二つの言葉が美子さんの人生を美しゅうもしたり、醜くもする。あんたの今の心の中は純白じゃ。そ

     の心に、信じること、愛することで美しい絵が幾らでも描ける。うらやましいの・・・。いいや、この胸

     を開けてあなたに見せてあげたいような人生の絵巻がありますから寂しゅうなんかありません。

美子  おばあちゃん!

ふで  ふん、またまた、自然に舌が回ってしもうた。                                

美子  忘れません。おばあちゃのこと。

ふで  節子さん、うちは何か言うたかの。ついさっき しゃべつた事をすぐ忘れる。その病名は・・・

節子  その病名は・・・ふで式疑似健忘症候群て言う んでしょう。

ふで  そうじゃつた、そうじゃつた。

美子  {頷きながら}あばあちゃん。



   ノックの音。



節子  今度は知佳ちゃんだわよ。きっと・・・はーい

    三人ドアに注目をする。美子ドアを開ける。立石純一{二十三}が立っている。



ふで  純ちゃん!

節子  ええ!

美子  まあ・・・

純一  おばあちゃん、帰りました。                                           

ふで  帰ったのかい。いつ。                         

美子  あの・・・

節子  {口に指を当てて}シー                                              

純一  今朝、成田へ着いたんですよ。                                         

ふで  そうかい、それで・・・                                               

純一  真っすぐここへ・・・                                                

ふで  お前って子は・・・。どうして、おじいさんに挨拶が出来ないのかのう。

純一  おばあちゃんと一緒にお参りしようと思ってね 。

ふで  まあ、この子ったら。

美子  おばあちゃんは・・・

節子  これ・・・

純一  なにか?ああ、僕はふでの孫の立石純一と言います。祖母が何時もお世話になっています。

美子  はい。もう我が侭で、ドクターやナースの言う ことは聞かないし、チョット一杯には行かれるし・・・  

節子  {美子の言葉にかぶせて}ああ、ああ、いい、いい、いろはにほへとちりぬるおわかよたれそつねな

     らむきふのをくやま・・・あの、純一さん、この看護婦さんはなんにも分かってはおらんのです。そら

     ね、少し季 節が冬に傾くと時折冷たい風が吹き木をゆらし、赤く色 を変えた葉っぱをまるでしぐれ

     のようにふらすでしょう 。そんな季節になると、心の中に乙女の感傷と言う変化が起きて、幻覚を

     起こすらしいですわ。あの、これは病気ではありませんの・・ ・

ふで  なにをわけの分からんことを言うとるんじゃ。看護婦さんの言う通りじゃ。こん人らには、ように世話

     になっとるから礼を言うとってくれな。

純一  はい。本当に有難うございます。

節子  丁寧な挨拶痛み入りますです。

美子  ああ、私は・・・なにを・・・。御免なさい。 興奮してしまって・・・。

節子  看護婦さんは、どんな時も沈着冷静さと言うサを忘れてはいけませんのよ。

ふで  そういう、あんただって・・・

美子  だって、明日おばあちゃん、退院なさるんですもの。

純一  本当ですか。それは良いところへ帰りました。二三年は日本におりますから、しっかり、おばあちゃ

     ん孝行が出来ます。アメリカにいて、おばあちゃんが病気で入院をしていると聞いて・・・

節子  それが・・・

純一  おばあちゃん、これから僕がおばあちゃんの行きたい所へ連れて言ってあげますから・・・。明日は

     ゆっくり休んで、明後日には、まず、おじいちゃんの墓参りに行きましょう。

美子  それが・・・

ふで  あちらではしっかり勉強したんじゃろうな。

純一  はい。おばあちゃんに本を読んでその本から夢と人生を拾うのじゃ。と教えられましたからね。

ふで  それは、おじいさんの人生じゃつた。その人生 をうちは一緒に歩んだだけじゃ。大きすぎる夢を抱

     えて何度も転んだわ。じゃが、立ち上がった時には夢は一回り大きゅうなってうちらの前に立ちはだ

     かったわの。でもな、うちには後悔とか愚痴なんかありゃせんぞ。人生をうたかたの夢と言うなら、そ

     ん夢よりもっと大きな夢を見てきたからじゃ。うちの心の中にはおじいさんがくれた、否、二人で育て

     た宝物がある。

純一  その宝物を僕が引き継ぎいただきますよ。・・・子供心にも、おじいちゃんおばあちゃが、縁側に面し

     た部屋に紙切れを一杯広げて、額を寄せ合い・・・

ふで  おじいさんが、全国各地を歩き回って拾ってきた昔話を分類仕訳していたのじゃろう。人間として生

     まれた以上人間が語り残した口承文芸を次の世代へ伝え残すのが務めじゃと言う責任感が・・・

純一  有り難いと思っています。おじいちゃんのお陰で、僕のやらなければならない仕事が決まったのです

     から。

ふで  おじいさんは、お前に、勉強して国を動かす人間になることもええが、人様の邪魔になる石ころを

     動かせるのも・・・

純一  ええ、あの言葉で凄く楽になりました。生きることの価値は何ら変わらないって事を教えられましたか

     らね、どんな人間になろうと。どんな職業に就こうと。                           

美子  私も、何だか自信が沸いてきました。どこの学校、成績は・・・

節子  世間なんて見てくればっかりで、偏差値が、家柄が、年収が・・・。そんなものはいらない、一家団欒

     の笑顔のはじける夕げが欲しい。あなた、一本つけましょうか。いいよ、大根と大豆はしっかり取ら

     なくてはいけないよ。ええ、分かっているわ、あなた・・・

ふで  せつこさん・・・

節子  おばあちゃん・・・

純一  {心の風景を見ていたが}さあ、何をどのようにすればいいか言ってよ。退院の用意をしなくては。

ふで  なんにもありぁせんわの。風呂敷包みが一つだ け・・・

純一  親父やお袋は一体どうしていたんだ。今日だってここに来てなくてはならないのに。

ふで  いいんじゃよ。あん人らは世間のしがらみの方が大切なのじゃ。

純一  だからって、退院と言う嬉しい日に・・・                                    

ふで  いいじゃないの。うちは、お前がこうして来てくれたことが一番の御馳走じゃから。

美子  あの・・・

節子  おばあちゃん・・・明日・・・

ふで  これ・・・

節子  いいえ、言わせて貰います。おばあちゃん、ここを退院して直ぐに老人ホームへ入ることになってい

     るのよ。

純一  それは、本当ですか?

節子  ええ、年は取りたくないわ。一生懸命に生きて来て・・・終わりが・・・

純一  僕が帰ってきた以上、そんな理不尽なことはさせません。そんなに、おばあちゃんの事が邪魔だと

     言うのなら僕と一緒に暮らしましょう。僕が、僕が面倒を見ます。いいえ、僕の夢を育てるためにそ

     ばにいてください。

ふで  いいんだよ。うちの事は・・・

美子  おばあちゃん・・・

節子  純一さん、有難う。

ふで  これ、まだ・・・

純一  さあ、これから忙しくなるぞ。

ふで  後で後悔しても後の祭りだよ。こんな年寄りがいては、おまえにお嫁さんの来てがいないんだから・

純一  きっと、おばあちゃんのような、僕の夢を一緒に温め育んでくれる人がいるよ。ぼくはもてるんだか

     ら・・・                                                        

美子  それは・・・

節子  なに言ってんの。あんたのことではないの。

美子  ああ・・・



   ノックの音がする



節子  {我にかえり}はーい。・・・あのノックの叩き方は、口やかましい公子ナース・・・

   

   知佳が公子と宏美に連れられて入ってくる。

   医師も同道している。



公子  口やかましい公子ですど。

節子  あら、まあ、聞こえましたの。

公子  はい。至って耳も身体も良いほうですから。

ふで  それで{知佳に}どうなんです。



    公子が知佳の包帯をとる。



知佳  おばあちゃんですね。私、私・・・                                        

節子  なんと言えばいいの。こんなとき、たとえば明日がある。若いんだから、とか・・・            

ふで  {節子に}この人は本当に心で物が見えん人じ ゃのう。その奇蹟、いいや、成功したのよ。

知佳  {ふでの胸に}おばあちゃん!

節子  そうなの、見えるようになったの。知佳  {頷く}

節子  そうよかった。万一だよ。万一知佳ちゃんの目が見えないようなら、えんまさんに噛み付いてやろう

     と思っていたんだよ・・・                                             

ふで  それは、うちが言ったよ。{節子に}あんたは、まだまだえんまさんの前に出られる年じゃないよ。  

節子  だって。

知佳  {みんなに}有難う。有難う。わたし、みんなに、どこの誰だっていい、ありがとうって言いたい気持

     ちなの。

ふで  そうさ、その喜びをみんなに分けて上げるんだよ。笑いかけんだよ。声をかけるんだよ。そして、今

     のその心でこれからも生きて行くんだよ。一人でも多くの人を幸せにするんだよ。

知佳  はい。

ふで  ところで、うちは、今何か言いましたかな。このごろ、物忘れがひどうなってしもうてな。言うた口の

     下から漏れるらしい。

節子  ・・・

美子} おばあちゃん!

知佳  おばあちゃん、有難う。この見える目で、そして、心の目で真実を見つめて生きて行きます。

ふで  そうじや、そうじゃ。・・・ところで、チョツト一杯引っ掛けてきましょうかな・・ああ、これは公子さん・・・こ

     のことは、内緒、ないしょ。                                           

医師  おばあちゃん、私も付き合いますョ。

ふで  わあ、先生様・・・



     純一は腕を組んで笑っている。



               静かに幕


© Rakuten Group, Inc.